2022年大河ドラマ「 鎌倉殿の13人」
舞台は鎌倉時代
N H Kの発表によりますと、
「源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男、二代執権・北条義時が、いかにして武士の頂点に上り詰めたのかを描きます。脚本は三谷幸喜さんです。」
この 1 3 人の中に、地元比企の「武蔵武士 比企氏」が登場します。ここ東松山市には、比企氏に関する多くの伝承が残っています。
比企氏とは、どのような一族であったのでしょうか?
比企一族とは
頼朝を手厚く支援
平安時代末期、比企遠宗(とおむね)は、清和源氏頭領、源義朝の家人でした 。義朝は、久安 3 年(1147年)三男頼朝が生まれると、頼朝の乳母に比企遠宗の妻を任命します。
乳母とは、ただ乳をやりおむつを取り替えるだけではなく、養君の学問や教養など全てにおいて責任を持つ役目であり、家族全員で奉仕する擬制的親子関係かつ主従関係となるものです。
平治元年(1159年)頼朝13歳の時、平治の乱が起りました。平清盛の平氏と源義朝の源氏との戦です。
しかし、源氏は敗れ、父の義朝や二人の兄は戦死し、この戦が初陣の頼朝も平氏に捕らえられ死罪になるところを平清盛の継母池禅尼(いけのぜんに)の助命により死は免れますが、伊豆の蛭ケ小島に流されてしまいました。
伊豆の国蛭ケ小島は、狩野川の氾濫原で自然堤防のような場所でした。
流人頼朝の監視役には、平氏北条時政と伊束に本拠を謹く平氏伊東祐親がなりました。
伊豆の伝承によると村人達は平氏を恐れて頼朝が流されてから7 年ほどは誰も頼朝に近づかなかったと云います。
頼朝が伊豆に移ると、比企夫婦も頼朝の世話をするために、京都から請所とされた武蔵国比企郡に移ります。
そして夫遠宗亡き後、妻の乳母は比企の尼として、伊豆の頼朝を物心両面で支援していきました。伊豆の伝承では、月に一度、比企氏からの物資が届いたと云います。
比企氏の支援は、 20年の永きに及びました。頼朝の流罪永暦元年(1160年)から治承4 年(1180年)に頼朝が旗揚げし、平氏の目代山木館を襲撃するまで支援を続けました。もし、比企一族が居なければ鎌倉幕府の成立は無かったと言っても過言ではありません。
頼朝旗上げ後、比企氏は一族をあげて頼朝の武士政権「鎌倉幕府」の成立に貢献します。頼朝も比企の尼の恩に報いるため、比企家の当主比企能員を上野や信濃の目代にしました。
北条氏との争い
寿永元年(1182年)頼朝の長男頼家が産まれると能員は頼家の乳母父になり、比企氏の女性達が乳母になりました。しかし、次男実朝が産まれると、政子の妹阿波の局など北条氏の女性 達が乳母になったのです。ここに悲劇の種が蒔かれます。
その後、比企能員の娘 若狭の局は、頼家に嫁ぎ、建久9年(1198年)に頼家の長男一幡を産みます。しかし、建久10年(1199年)1月に頼朝が亡くなり、頼朝の跡目は18 歳の長男頼家が継ぎ二代将軍となりました。
これにより比企氏が将軍頼家の外戚として力を付ける事を恐れた北条時政は策略を巡らします。ついに建仁3年(1203年)頼家が病にかかると、同年9月2日、比企氏を倒すため北条邸で薬師如来の法要があると偽り、比企能員を自分の屋敷に招き殺してしまいました。
北条氏の軍は比企が谷の比企邸も襲い、比企一族は滅亡したのです。
北条時政は、頼家の将軍職を解き、修善寺に幽閉、北条氏が乳母をした実朝を三代将軍にし、後見人として権力を握るのです。
頼家は、翌年7月18日に北条氏により殺されてしまいました。この時、頼家の側にいた若狭の局は、夫頼家の位牌(遺骨説もあり)を持ち、武蔵国大谷村に逃げてきたと云われます。
この争いは比企氏の陰謀(比企の乱)と呼ばれていますが、京都の公家や僧侶の日記などから、比企氏から権力を奪取するための北条氏の陰謀とみても良いようです。
修善寺より逃げてきた若狭の局は、大谷に村の名と頼家の法号「寿昌」を用いた大谷山寿昌寺(たいこくさんじゅしょうじ)を建立し、頼家の菩提を弔ったと伝わっています。
鎌倉長興山妙本寺
比企一族の菩提を弔うため能員の末子能本が、比企氏の館跡にあった自らの屋敷を日蓮聖人に献上したのが始まりといわれます。日蓮聖人は、文応元年(1260年)比企能本の父・能員と母に「長興」、「妙本」の法号をそれぞれ授与し、この寺を「長興山妙本寺」と名付けました。
比企氏紹介コーナー
東松山市大岡市民活動センターコミュニティホール に「比企氏紹介コーナー」を設置しました。
パネル展示と散策用の「比企氏ゆかりの地 大岡マップ」を配布しています。
マップはページ下のリンクよりダウンロードも可能です。
大岡市民活動センター( 東松山市大谷3400-10 ☎0493-39-0602 )
比企氏ゆかりの地 マップ
①東松山市の比企氏ゆかりの地 大岡地区(マップ②赤丸部分)
1. 城ケ谷
2. 宗悟寺
3. 串引沼
4. 比丘尼山
5. 梅が谷・須加谷
②比企地域の比企氏ゆかりの地