比丘尼山(びくにやま)の北に串引沼という大沼があります。
夫頼家を修善寺で殺された若狭の局は、頼家の位牌を持ち、この大谷に逃れてきました。若狭の局は、現在はゴルフ場の中とな りますが、比丘尼山の西、源泉沼の近くに大谷山寿昌寺を建て、頼家の菩提を弔ったと云われています。寿昌とは頼家の法号です。
この沼には、次のような伝説が伝わっています。
「 その昔、夫頼家を殺された若狭の局は、大谷村に逃れ比丘尼山の草庵に住み、夫頼家の菩提を弔っていましたが、いつまで も夫を殺された悲しみから逃れられず苦しんでいました。それを見かねた祖母比企の尼は、若狭の局に、心の迷いを去らせる為に、鎌倉より持参し肌身離さず持っていた夫頼家から贈られた鎌倉彫の櫛を捨てさせようと心に誓いました。
夜の明けはじめた早朝、朝の勤行を済ませ、祖母の比企の尼と二人連れだってこの沼に行き、頼家形見の櫛を沼に投げ入れました。櫛はかすかな水音を残して沼底深く沈み、その姿が見えなくなりました。
その時若狭の局はもちろん、比企の尼の両眼からも涙がとめどなく流れ落ちていました。時は1205年7月半ば、丁度、夫頼家の命日に当たる日であったと云います。 」
土手に並ぶ桜は、修善寺から寄贈された山桜で、頼家桜と呼ばれ真っ白い小さな 花が咲きますが、ソメイヨシノように華やかではなく若狭の局のようにしとやかに咲く山桜です。