三門館跡は和泉にある泉福寺(せんぷくじ)より東に約 200mの位置にあります。
この館跡は発掘調査などが行われていないため詳細はわかりませんが、源頼朝の父である義朝などに仕えた比企遠宗の館ではないかとする説があります。また、吾妻鏡にある記述から毛呂氏の所領とする説もあります。

比企遠宗の妻・比企の尼は、頼朝が伊豆に配流されてから平家打倒のために挙兵するまでの約20年間にわたり支援したと云われます。遠宗の館とする上記の説によればこの三門館から米などが送られていたのではないかと考えられます。

館跡は北西と南東に 2 つの丘陵があり、その間の四方約200mの範囲が館の敷地であったとされています。北西・南東の丘陵上、北東の谷部の3方を空堀と土塁で囲っていたとされ、現在はその一部の空堀と土塁が残っています。

特に北西側の空堀は良く残っており、丘陵上を南北に180m延び、東へ折れ50 m程で丘陵裾まで達しておりこの部分がかつては南東の空堀までつながっていたとみられます。

二宮山展望台から見た館跡
今も残る館の空堀

コメントは締め切りました

Close Search Window