秋葉神社の西側を「梅が谷」、東側を「須加谷」と呼ばれています。
秋葉神社は、火伏の神様として信仰を受けている神社です。江戸時代の領主森川氏は、この神社を江戸の本郷の屋敷に分祀し、守り 神としていました。
秋葉神社西側の梅が谷は、若狭の局が年老いて隠棲した所と伝えられている場所です。この谷は東方から南方へと丘陵が続き、くめども尽きない清らかな水の湧く、暖かい陽だまりの地で、昔から梅の古木の多い美しい花園であったと云われます。
秋葉神社の東側は、菅谷(すがやつ)と云われており、ここには 比企西国三十三札所菅谷観音堂がありました。この観音堂には、蛇苦止(じゃくし)観音が祀られていました。
若狭の局は、頼家を殺され悲嘆に くれ、それはあたかも体を蛇に巻き付かれたような苦しみ方でありました。そこで、この蛇による苦しみを鎮めるため蛇苦止観音をつくり、ここ菅谷(すがやつ)にお堂を建ててお祀りしました。
この菅谷観音堂は、今はありません。蛇苦止観音は、現在、宗悟寺に祀られています。また、この地は現在、須加谷(すかやつ)と 呼ばれており、観音堂跡は竹林になっています。